飛騨のかざりもの

1,500円+税
A5/フルカラー/12P+A3ポスター付
著者+翻訳+装丁+出版・シンプル組合
協力:5+(ごとう)

飛騨の飾り物

1787年、高山郡代大原正純が陣屋稲荷の初午祭に「二十四孝」の飾り物を奉納したのが最も古い記録とされるが、旦那衆が始めた余興ともいわれる「こうと(地味で上品という意味の飛騨弁)」な町人文化である。今では、高山や古川など飛騨地方を中心に、新年など祝事の際に、民家の軒先で出格子を外し緋毛氈を敷き、銀屏風を立て「飾り物」を展示する。

本物に似せた「作り物」、とんちの利いた「判じ物」、物を何かに見立てる「見立て物」の三種の飾り方がある。道具は、茶道具、酒器、大工道具など、同系統でまとめ、生活の道具でありながらも、床の間に飾れるような品のある道具を選ぶことが求められる。豪奢でなく、ごく自然にありのままの姿で飾るのを良とする。また飾り手の洒脱さは勿論、見る者にも知的感度が求められる。

名人、鮎飛定男

本書の飾り物の飾り手、鮎飛氏(1936年生まれ)は飛騨古川で左官業を営む飛騨の匠の一人。左官業の傍ら、語り部として、観光客の案内をはじめ今に至る。先代から受け継いだ貴重な左官道具や、自慢の骨董品を用いた氏の飾り物は、毎年高い評価を受けている。また、地元の子供たちに飾り物の魅力を伝えるため小学校で講演するなど、文化継承にも力を入れている。

飛騨古川

鮎飛氏が暮らす飛騨古川は、司馬遼太郎が「飛騨随一ノ町並也」と謳った美しい風景で有名である。古川の特色は、単に伝統を守るだけではなく、代々培われてきた高い生活感への美意識により「日々の暮らしに活きる伝統を新たに生みだす」ところにあると言える。

例えば町家の軒下、出桁を支える小腕(腕木の化粧材)に施された白い彫刻はその形から「雲」と呼ばれ、古川大工の誇り、美意識の高さの象徴といえる。奈良時代から匠の里として知られた飛騨古川には今も150人以上の大工や職人がおり、一人ひとり異なる雲の意匠を持つ。しかしその歴史は比較的新しく、戦後に一人の大工が取り入れたものが広まったとされる。

また瀬戸川沿いに連なる造り酒屋の白壁土蔵、この美しい町並みは、1904年の大火で全町のほとんど焼失したところから、旦那衆や大工、住民の力でいち早く復興されたものである。また瀬戸川は農業・防火・生活用水の他、冬は除雪した雪を流すための流雪溝として、夏場は鯉が泳ぐ名所だが、高度成長期には汚染が問題視された。しかし1968年に一部の町民が住民、企業などから寄付を募り230匹の鯉を放流。これを水質の指針とし、住民が地道に日々の暮らしを見直してきたことで、約千匹の鯉が泳ぐ今の姿に蘇った。

相場くずし

古川には、景観との調和(相場)を大切にし、それを崩すこと(相場くずし)を嫌う気質があったという。これが、生活感がある風情ある町並みを育む美意識へ繋がっているといえる。こうした「暮らしの中の美意識」が、飾り物のような洗練された文化を地域に育んできたのではないだろうか。

亥雪原を駆る

亥年にちなみ、茶道具の扇子と大小の茶筅を用いた見立て物。野点用の小さな茶筅は新春を想起させる瓜坊主を、扇子は雪山を表している。

船出

年頭の宮中歌会始の儀、二〇一二年の題「岸」にちなんだ見立て物。京へ上るべく岸を発つ一寸法師を、茶道具で表した。茶筅の黒い糸が段々と袴の帯に見えてくる。御伽草子ではお椀のお舟だが、ここでは茶道具で揃えるために茶器を用いた。

名人、鮎飛定男

本書の飾り物の飾り手、鮎飛氏(七七)は飛騨古川で左官業を営む飛騨の匠の一人。左官業の傍ら、語り部として、観光客の案内をはじめ今に至る。先代から受け継いだ貴重な左官道具や、自慢の骨董品を用いた氏の飾り物は、毎年高い評価を受けている。また、地元の子供たちに飾り物の魅力を伝えるため小学校で講演するなど、文化継承にも力を入れている。